2008.06.30
鏡の中の箱庭
非常に抽象的かつ読みにくい文章かつマイナスのベクトル100%の文章ですので、閲覧される方はご了承下さい。
――己を好きになれない人間に、世界を好きになることはできない。
どこで聞いた言葉だったかは記憶していません。
ただ、今でこそこの言葉が事実だということを強く認識させられます。
『自分』というものは世界の縮図であり、鏡だと言います。なるほど、真実がどうあろうと世界は『認識』以外の何物でもないわけですから、仮に自身が何らかの事情でねじ曲がってしまえば、その目に映る世界は醜くねじ曲がっているはずです。
彼は言います。
「どれだけ欠点があったって自分は世界に一人しかいない人間なんだから大切にしてやれ」
一面的にとはいえ自分という人間を最もよく知っているのも自分です。自分自身の醜い部分もよく知っている。汚い部分もよく知っている。そこから目を背けることは簡単でしょう。しかし、目を背けたところでそこにあるものは変わりません。ある意味偽善と言えるかもしれません。かえって自身に対する欺瞞が募ることは目に見えています。だからこそ目は逸らさない。
ところが、その部分を直視したところで絶望的なまでの嫌悪感を覚えるのでは、欺瞞を募らせるのとなんら変わりはないのかもしれません。周囲から「いいところ」を指摘されたところで、自身が認められないのであれば結局は同じ。自身という存在を好意的なものだと解釈することは、全ての『存在』に対する冒涜でしかありえないとしか判断できない以上、自身の価値はそれ以上にはなりえない。
もし、本当にもしも仮に自分を認められたとすれば、世界の全てに好意を抱くこともたやすいのでしょう。
世界は実によくできた箱庭だと思います。
(BGM : 機械仕掛の詩 - 中恵光城)
どこで聞いた言葉だったかは記憶していません。
ただ、今でこそこの言葉が事実だということを強く認識させられます。
『自分』というものは世界の縮図であり、鏡だと言います。なるほど、真実がどうあろうと世界は『認識』以外の何物でもないわけですから、仮に自身が何らかの事情でねじ曲がってしまえば、その目に映る世界は醜くねじ曲がっているはずです。
彼は言います。
「どれだけ欠点があったって自分は世界に一人しかいない人間なんだから大切にしてやれ」
一面的にとはいえ自分という人間を最もよく知っているのも自分です。自分自身の醜い部分もよく知っている。汚い部分もよく知っている。そこから目を背けることは簡単でしょう。しかし、目を背けたところでそこにあるものは変わりません。ある意味偽善と言えるかもしれません。かえって自身に対する欺瞞が募ることは目に見えています。だからこそ目は逸らさない。
ところが、その部分を直視したところで絶望的なまでの嫌悪感を覚えるのでは、欺瞞を募らせるのとなんら変わりはないのかもしれません。周囲から「いいところ」を指摘されたところで、自身が認められないのであれば結局は同じ。自身という存在を好意的なものだと解釈することは、全ての『存在』に対する冒涜でしかありえないとしか判断できない以上、自身の価値はそれ以上にはなりえない。
もし、本当にもしも仮に自分を認められたとすれば、世界の全てに好意を抱くこともたやすいのでしょう。
世界は実によくできた箱庭だと思います。
(BGM : 機械仕掛の詩 - 中恵光城)
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